どうも、あじまです。
今の私には密かに楽しみにしている事があります。
それは今年、4年ぶりに開催となる”隅田川花火大会”です。
別に台東区生まれでもなければ、下町で育ったというバックボーンもないですが、何故か心惹かれるものが隅田川の花火大会にはありました。
地元の福島に居た頃から、テレ東の中継放送を観ては、いつかは現地で見ようと心に決め、やっと大学進学で上京し、初めて見た花火を昨日のようの事に思い出します。
そんな隅田川花火大会は、2020年からコロナにより中止を余儀なくされ、そして今年、ようやく開催される運びとなりました。
そこで今回は隅田川花火大会の情報を身につけ、当日に備えようではないかという事で、隅田川花火大会について書いていきます。
隅田川花火大会の発祥
時は1732年、8代将軍徳川吉宗の時代、この年に人々を襲ったのは大飢饉と疫病、それらにより多くの命が奪われ、日本中が暗い雰囲気に覆われました。
そこで吉宗は翌年の1733年に慰霊と悪疫退散を祈り、大川(墨田川)で水神祭を行いました。
その際に両国周辺の料理屋が許可を貰い、花火を上げた事が「両国の川開き」と呼ばれるようになり、現在まで続く隅田川花火大会の由来となりました。
始まりが飢饉と疫病だという事なので、奇しくも現代の状況と重なる部分があります。
今年の花火はそういった意味では、本来の願いが込められた花火が上がるのでしょうか。
そして、当初は両国付近という事で、現在の浅草付近会場よりも下流の場所で花火が上がっていたそうです。
もし両国付近のままだったら、今でも弊社の近くで上がっていたことになります。
では、何故現在の浅草付近という場所になったのか、その理由を見ていきましょう。
打ち上げ場所が浅草付近に移動した理由
移動になった理由は過去に花火大会が中止された原因にあります。
そうです、実は隅田川の花火大会はコロナ期以外にも中止された期間がありました(第二次世界大戦は今回は省略)。
それは1961年から1977年の16年間と長い期間です。
その理由は周辺環境の悪化によるものでした。
開催による交通規制の問題、建物の密集化、隅田川の水質汚染など、開催にあたっての環境問題が積み重なり、開催をストップしました。
しかし、浅草観光協会を中心とし、水質の改善などに取り組み、以前の両国付近ではなく、もっと上流の厩橋付近、言問橋付近の2か所に移すことにより、復活することが出来ました。
現在の浅草付近への移動は環境問題によるものでした。
そして今の隅田川花火大会があるのは、先の都民の皆様のお陰であるという事です。
楽しみです
4年ぶりとなる隅田川花火大会の開催、とても楽しみですね。
当日は混雑が予想されますので、お気をつけてお楽しみください。
では、ご覧いただきありがとうございました。